2018年1月6日(土)
友人宅、ヘアカット、スーフル食堂、マヤルカ古書店と駆け込み訪問して帰るとフジオさんが家の窓から現れた。明日の出国へ向けての荷造りがあるというのになかなか帰ってくれなかった。会う人みんなに餞別をもらった。
2018年1月7日(日) 在高雄1日目
出国の日。朝暗室に寄ってから石川くんとフジオくんを迎えにいって八条口で記念撮影。フジオくんとシャケ子から餞別をもらった。梅干しとチョコレートだった。EVA航空のチェックインカウンターで持ち込み手荷物が重量オーバーの宣告。重さに厳しいのはLCCだけだと思っていたので困った。ストロボだけ預けトランクに入れて許してもらえたので助かった。
高雄に到着。真夏のように暑い。Tシャツ一枚でも大丈夫。
2018年1月8日(月) 在高雄2日目
よく寝た。起きると珈琲が呑みたくなるのはどこでも一緒。小堤珈琲でモーニングは頼まずに珈琲だけ注文。常連らしき老夫が何人かいて、店主と話をしている。聞いていると時々日本語の単語が現れてびっくりする。カセットテープからは日本の演歌が流れていた。
2018年1月9日(火) 在高雄3日目
今日も小堤でモーニング。常連さんの顔はだいたい一緒。昨日の老父と少し会話をした。年齢を聞かれて答えると、私は82歳です。日本語教育は2年しか受けていません、そう言って笑った。
店を出たあと、自然食品店をいくつか回った。歩きつかれて入ったカフェの本棚には日本の本がたくさんあった。店主は日本語で話しかけてくれて、今日は14時から二階で日台交流会があるから参加しませんかと言っていただき、参加することにした。
14時になると台湾人と日本人が20人くらい集まっていた。僕は澎湖諸島に通って小児科の医師をしているという男性と主に話をした。
2018年1月10日(水) 在高雄4日目
レジデンス期間中、僕のの世話役をしてくれる李さんは日本語が話せる。それでも僕は無理して英語で話そうとしたりして日本語と英語がごちゃ混ぜの会話になったりする。英語を話す時の彼女は英語圏の人のようにすらすらと早口で話す。僕が英語での返答にもたつくと、日本語にしますか?と言って日本語で話し始めてくれる。するととてもゆっくりと優しい口調になる。僕はそれが可笑しくて彼女が日本語で話し始めると少しにやけてしまう。
2018年1月11日(木) 在高雄5日目
日本語の本が読みたくなって紀伊国屋へ。割高だけど、手にとって読めるのでとてもありがたい。探している本があるとレジの前にいた女性に言うと別の若い書店員さんを呼んでくれた。彼女に日本語で本の題名を書いて渡すと書架の方へ歩いていって見つけてくれた。少しだけ日本語が話せる美しい人だった。
夜はレジデンス仲間と初めて集合した。共有スペースで自己紹介のようなことをしてからジャズバーに行った。ポーランドから来たマルチン、ブラジルからはレチカ、ドイツからアラス、アメリカからジュリア、そして台湾の阮璽。
2018年1月12日金 在高雄6日目
小堤で卵とハムと珈琲で朝食。店を出てからカメラのアイカップが無くなっていることに気がづきしばらく探しまわった。しかし見つからなかった。
昨年の11月に高雄に来た時、湿板コロジオンという古典技法で撮影をする陳さんと出会った。その陳さんのスタジオに顔を出した。そのあと先日みつけたカフェで初級台湾語講座を受講。
2018年1月13日(土) 在高雄7日目
高雄に来てから一週間。この辺りは土日に人がどっと増える。朝からスタジオの周りが賑やか。僕は夕方まで布団の中で本を読んでいた。夕飯は今夜も高雄粥小菜にて。
2018年1月14日(日) 在高雄8日目
今日もスタジオの周りは賑やか。気晴らしに出かけて喫茶に入ったが、マンデリンを頼むと冷蔵庫から取り出した珈琲をカップにいれて電子レンジで温めていた。
友部さんと吉田省念バンドの演奏を京都の拾得から友人の好意で少しだけ実況してもらった。これはきっと本当に貴重なライブだったのだと思う。
2018年1月15日(月) 在高雄9日目
台湾では旧正月を盛大に祝う。アートセンターでもそのようで、レジデンス作家へ各商業店舗に作品を展示してほしいという依頼があった。午前中に李さんとその展示に関する打ち合わせ。
今日から自転車を借りることができた。行動範囲が広がって見たことのない景色をたくさん見ることができた。
2018年1月16日(火) 在高雄10日目
旧正月に写真を展示させていただく店舗が”言成金工坊”という宝石店に決まって、午前中店長さんと話をした。昨年作った小さな自費写真集『めをつむってみる』の中から写真を数枚選んでいただく。店長さんの写真を撮って展示したいと伝えたら了承してくれて明日撮らせてもらうことになった。思いつきだったけど、言ってよかった。
夜は台湾を旅行中の島田さんと落ち合って六合夜市にでかけた。
2018年1月17日(水) 在高雄11日目
金曜日にアートセンター関係者や高雄のギャラリスト向けにアーティトトークをすることになっていて、ほぼ初めてのことなので英文の原稿を書いた。自己紹介を兼ねて今までの活動や高雄での制作に関することを作文のように。お昼過ぎから”言成金工坊”で店長さんの撮影。夕飯は島田さんと昨晩に続き合流して家鴨肉を食べた。
2018年1月18日(木) 在高雄12日目
帰国前の島田さんが朝やってきてレジデンスの扉前で写真を撮ってくれた。そのあと小堤に案内して、お別れ。僕はスタジオで昨日撮影した写真の現像をしてから”言成金工坊”での展示案を店長さんと相談した。夜ご飯の後は明日のトークに向けた準備。
2018年1月19日(金) 在高雄13日目
慣れないアーティストトークの日。英語で書いた原稿を棒読みした。上を向いて話せばよかったと思ったけど、ひとまず無事に終了してよかった。
2018年1月20日(土) 在高雄14日目
洗濯してから自転車で北の方へ。高雄駅より北に行く道がみつからなくて困った。車は高架で越えることができるようだが、自転車では通れない。
15時からアートセンター主催で高雄市塩埕区の歴史勉強会。日本統治時代の建造物や二二八事件の事などとても勉強になった。台湾は日本に統治されていたけど敗戦により・・というくだりで、それでも君のことは好きだから心配しないでと、肩をぽんと叩いてくれる李さんの優しさが染みた。
2018年1月23日(火) 在高雄17日目
朝ごはんのつもりで豆花店へ。注文した薏苡豆花を受け取ろうとしたところで財布を忘れてきたことに気がついた。身振り手振りでそのことを店主に伝えると、ダイジョーブと日本語で言ってヘルメットを僕に手渡し、バイクの後部座席を指差して乗って!と言っている。部屋まで一緒に財布を取りに行こうということらしい。僕はバイクから見える台湾の景色に憧れていたから、なんだか嬉しくなってすぐに後部座席に跨がった。ところがいざ出発しようとすると隣のテーブルにいた若い男子グループの一人がお金を払ってくれるという。そんなsmallamountでわざわざバイクに乗っていくこともなかろうという感じで。
彼らはシンガポールから来たと言った。
バイクに乗れないことがなんだか惜しい気持ちになったけど、人の優しさが今日も染みた。
2017年1月24日(水) 在高雄18日目
昨晩の夕食の話。喫茶店で知り合った何潤さんと夜市に一緒に行って、臭豆腐入りの鍋、臭臭豆腐鍋を食べた。僕は発酵が絡む食品はどんなに酷い臭いでも食べられると思っていたけど、完食できなかった。
「ここの臭豆腐は美味しくありませんでした」
お店を出てから彼は何度もそう言っていた。
今日は写真を撮りながら自転車で蓮池潭に行った。そこから鳳山県旧城跡北門、東門、南門と見て帰ってきた。最寄りの塩埕埔駅前に着いてから野外日式カラオケを楽しむ人たちの歌をしばらく座って聞いた。蓮池潭の龍と虎。野外カラオケ。日本の友人、蟷螂とし子のことを思い浮かべる。
2018年1月25日(木) 在高雄19日目
トンネルを抜けると突然大学の敷地内になる。中山大学というらしい。校内通り抜けをして打狗英国領事館へ行った。そのあと旗津へ行くフェリー乗り場まで歩く途中、町工場の前でくつろいでいたおじさん二人の写真を撮った。話しかけると缶ビールを開けて手渡してくれた。みかんもくれた。中国式将棋のような盤面を机にして筆談はじめたがほとんど会話にならない。こういうときビールをぐいぐい飲めたらいいのになと思う。工場の中にいた唯一仕事をしていたもう一人のおじさんの写真も撮らせてもらってその場を去った。
旗津行きのフェリーは7分間隔で運行している。船に乗ってから自転車で行くこともできたと知り少し後悔しながら船上からの景色を楽しんだ。到着後、海鮮食堂のお兄さんに勧誘されるがままトビウオの天ぷらを食べる。ところがトビウオの小骨が喉にささり散策する気持ちまでなくなる。また今度自転車で来ようと決めて戻ることにした。再び船に乗り、降りるとお婆さんが一人で座っているのが見える。目があって話しかけると日本語で挨拶をしてくれた。彼女は「その昔、私は静岡と高雄を行き来していました」と言った。
2018年1月26日(金) 在高雄20日目
日本から持ってきた味噌をお湯でといて、毎朝簡単な味噌汁をつくって飲んでいる。そのおかげか、お腹の調子が良い。ところで明日と明後日、逗留中のレジデンスの一部を四時間だけ解放するオープンスタジオをすることになっている。今日はその準備。写真をパネルに貼る作業を李さんに手伝ってもらって壁に設置した。彼女は僕の長男が17歳だと知るととても驚いていた。
作業を終えてからコインランドリーに走った。洗濯中に高雄清粥小菜で晩御飯を食べて、乾燥中に豆花を食べた。イィレンドゥフゥァ、シャウワンと言ったら通じた。
壁に何年も前に撮った作品七点が貼ってある。僕は高雄で何が撮れのだろうか。明日は来てくれた人と高雄の話がしたいと思う。
2018年1月27日(土) 在高雄21日目
オープンスタジオが始まる前に小さな植木を買った。
Pier-2の倉庫群には週末になると人がたくさん集まる。レジデンススタジオは少し端っこの方にあるのだけど、それでもふらっと立ち寄ってくれる人がいて嬉しい。『instant couple』という作品をずっと見ていた男性は冬の日本を思い出すと言った。彼は香港生まれで日本に三年住んでいたことがある。その頃付き合っていた日本人の彼女とは車で出掛けることが多かった。生まれ育った国が違うからあなたとは分かり合えないとよく言われたけど、今はそれが良い思い出になっていると、写真を見ながら感じたそうだ。僕にとっても過去の写真はその頃の家族が被写体になっていることが多く、どこか痛々しい気持ちになる。でもこれらの写真が僕に少し旅をさせてくれている。そう考えるとありがとうの気持ちしかなくなる。夜はレジデンス仲間とその友人たちと火鍋屋へで円卓を囲った。大人数でつつく鍋が好きだ。
2018年1月28日(日) 在高雄22日目
オープンスタジオ二日目。開場の14時少し前に他の作家の部屋をまわった。どの作家の部屋の見せ方もとても良かった。僕は小さな展示のようなイメージで挑んだけど、他の人はオープンスタジオの言葉そのままに、自分の作業部屋を公開している雰囲気が良い。ぼくも来月はそうしようと思った。
今日は日曜日ということもあって家族連れが多く、開場してからしばらくは人が来なかった。それでも15時くらいからぽつぽつ入り始めると、たくさんの人が集まる時間帯もあった。それにしても日本語で話をしてくれる人がとても多い。高雄のお勧めの場所や、山の話、日本の写真家のこと、いろんな話を日本語と英語を混ぜながらして、あっという間に終了時間。
今夜は高雄の麺屋に連れて行ってもらって、そのあとは夜景スポットとなっている忠烈祠へ。そのあと夜の海岸沿いを車ではしってもらって小さな港で降りてから皆思い思いに写真を撮ったりして過ごした。
2018年1月29日(月) 在高雄23日目
僕は3歳から11歳までをアメリカで過ごした。先日帰省したときに小学校の時の作文がでてきて、英語がその頃は身近だった様子がうかがえた。高雄に来てから他のアーティストたちとは英語で話しをしている。ただ先に日本語が出てきて、それを英語に翻訳しながら話をしている感覚。だからなかなか会話についていけない。小学校の頃の僕だったらなんてことを思うけど、きっと性格の問題の方が大きいだろう。今日は隣人のアラス氏が父上の旧友から頂いたという果物を皆で食べた。ここでは果物というより、フルーツという言い方が似合う。パッションにドラゴン、パパイヤ、レンブ等、お腹いっぱいになるまでフルーツ三昧という贅沢。ホストの李さんとアラス氏の掛け合いを聞きながら僕は笑っていた。
部屋に戻るとペイリンさんが日本から届いた手紙を持ってきてくれた。写真家ヨシダミナコさんから。綺麗な字で台湾での僕の住所が書かれていてしばらく眺めていた。
2018年1月30日(火) 在高雄24日目
午前中は言成金工坊へ写真の搬入作業。李さんとペイリンと3人で。終了後、紀伊国屋に行って日本語の本を座って読んだ。夜はレジデンス仲間やその友達など14人くらいで台湾居酒屋に集まった。そのあとに行った音楽バーに1時半くらいまでいて、解散。帰ってからなかなか寝付けず、うとうとしたまま朝になっていた。
2018年1月31日(水) 在高雄25日目
オープンスタジオの時に少し話をした、高雄在住のイラストレーターChiaoFuと国際商場の入り口で待ち合わせをして、スーツ店の店主を紹介してもらった。彼は歌が大好きだから覚悟しておいてねとChiaoFuに言われていたけど、挨拶もそこそこに早速歌が始まる。何曲か聞いて、ChiaoFuは絵を描きはじめる。僕はあらためて写真を撮る段になって、とても緊張した。
撮影の後、床が本で埋め尽くされた漫画喫茶のようなところに行った。本の上を歩かないとテーブルに辿り着けないというのは、本に申し訳ないねとChiaoFuと話しながら店内奥の庭スペースに座る。自分たちのことを少し話して、タロット占いをしてもらって、似顔絵を描いてもらって、僕は写真を撮らせてもらった。別れ際におみやげに太陽餅と牛軋餅というお菓子を渡してくれて、ChiaoFuはバイクで颯爽と去っていった。
僕はそのあと商店街の隅でお茶を飲んでいたおじさん二人に話しかけて写真を撮った。撮り終わって行こうとしたら、あの独特の小さな湯飲みにお茶を注いで指差している。椅子も用意されていて、しばらくそこで台湾茶を楽しんだ。香りが良いから何杯でも飲める。そして断らない限り永遠に注いでくれる。台湾語の会話を聞きながら今日一日のことを振り返る。気が付いたら日が暮れかけている。さ、お粥を食べて帰ろう、そう決めて、”謝謝”と言って立ち上がった。
2018年2月1日(木) 在高雄26日目
コインランドリーで乾燥待ちをしていたらChaioから「皮蛋粥を持っていくから待ってて」というメイルが届く。昨日ちょうど別れたお店の向かいにあるコインドリーだと言うと30分くらいしてスクーターで現れた。「あっちでタバコを吸っておくから食べて」と言って手渡してくれた袋には、お粥とは別に油揚げのようなものが別付けで入っていた。お粥の蓋を開けてそれを中に入れて食べ始めるとChiaoがそばに寄ってきて、「今日は旧暦16日で朝からアルバイト先の会社の手伝いをしていた」と言ってタバコを片手にオリンパスペンで僕を撮っている。毎月旧暦2日と16日に土地公という土地の神様に向かって商店を営むひとたちが店先にお供え物を出して、札のようなものを燃やす儀式がある。僕はコインランドリーに来るまでに何軒かお供え物を見たことを話すと、それそれとChiaoは頷いた。お粥を食べ終えると乾燥機がすでに止まっていた。Chiaoはスケッチしに行くと言って昨日と同じようにバイクで行ってしまった。僕は部屋に戻って洗濯物を畳んでいたら靴下が片方ないことに気がついて、またコインランドリーに戻った。靴下はすぐに見つかったので、そのまま商店街の方に歩いて行ってお供え物や札を燃やす儀式の写真を撮った。写真を撮っていたら再びChiaoからのメイル。「哈瑪星(はません)の日本語訳地図を言成金工坊に預けたから戻ったら受け取って」。言成金工坊は僕が今展示をしている部屋の目の前のお店で、哈瑪星は日本統治時代の高雄の政治の中心地区で史跡も残っている場所。それを知っていてわざわざ地図を届けてくれたらしい。ありがとうを何度言っても足りない、そんな気持ちになる。夜は思いつきで高雄の映画館に入った。浅野忠信が出ている日本映画を見てから映画館を出ると、外は冷たい風が吹いている。今夜は高雄に来てから一番の寒さだった。
2018年2月2日(金) 在高雄27日目
もらった哈瑪星の地図を持って電車に乗った。終着駅で降りると、旧高雄港駅の駅舎が見える。旧打狗駅故事館という当時の駅舎の中が小さな博物館になっている。少しだけ見学して、哈瑪星の街中の写真を撮りながら鼓山港まで歩いてフェリーに乗った。そして旗津港で降りてから小さな山を登って高雄灯台を見学。高雄港が見渡せて気持ちが良かった。鼓山港に戻ってから今日もChaioに会った。田町斎場という日本統治時代に建てられた火葬場に連れて行ってもらった。今は塀で囲われていて中には入れない。そのあと、これも統治時代の建物で、屋根瓦の窯場へ行って、市場で小籠包と豆花を食べて、高雄図書館まで送ってもらった。別れ際にお母さんからと言って茶器セットを手渡してくれた。
2018年2月3日(土) 在高雄28日目
中国語で”拜拜”は参拝という意味らしい。この間見た商店の前で土地公にお供えしていた人たちがみんなバイバイと言っていたので、Chiaoに聞いた。実は昨日に続いて朝からChiaoがPier2まで来てくれてる。バイクで鳳山地区を回ってくれるという。バイクの後部座席から見る高雄の街は徒歩とはまた違う景色に映る。この街では信号より目で確認することが大切だとChiaoが運転しながら言う。最初に鳳山城隍廟で拜拜してから鳳儀書院へ行った。そのあと日本統治時代の無線発信基地だった場所へ。”ニイタカヤマノボレ”という暗号はここから発信されたと知る。胸がしめつけられる。戦後は中華民国海軍が逮捕した政治犯、思想犯の拘禁、取調べを行なう施設だったということ。中に入ると気持ちがそわそわして仕方なかった。基地を後にして、Chiaoが鳳山駅近くの牛肉麺の有名店に案内してくれた。麺とは別に粉蒸肉という一品を追加。八角が効いていてとても美味しい。もちろん牛肉麺も。
食事のあと、龍山時で今日二回目の拜拜。台湾のお寺にはいくつもの神様がいるから、それぞれに順番にお線香をあげていく。その一連の流れが参拝者によって違っていて、それを眺めていたら心が落ちついてくるのがわかる。二人で拜拜しながら僕たちは全部の神様に挨拶をした。ところがお線香がまだ二本余っている。隣でお寺の人が下の方を指差してChiaoに何か言っている。Chiaoが僕に机の下を覗いてみてという。しゃがんで見ると寅がいた。机の下の寅にも拜拜。
龍山時の次は黄埔新村へ。1930年代に建設された元日本軍居住区で当時の姿のまま空家がまだ残っている。今は政府の管轄で再生事業が始まっているとChiaoが教えてくれた。歩いていると、村の一角で映画の撮影の準備をしているのが見えた。大道具さんたちがペンキを塗ったり扉を作ったりしている。Chiaoが「I was doing that job beore」と言って苦笑いした。その近くでは本格的な一軒家の復元工事が行われていた。現場監督らしきおじさんが、いろいろ中国語で教えてくれるのをChiaoが訳してくれた。柱と柱の間に土壁が少し残っているのが見える。心が揺さぶられる。台湾に来てから見る日本統治時代の建物はどれも外観ばかりで中を見る(見れる)ということが少ない。見れてもリノベーションされてカフェや商店としてい利用されているものが多い。どこか歴史的事実に一枚膜を貼ったような安心感がある。僕には日本統治時代の建物の外観は古き日本というより台湾を統治した日本という事実を浮き彫りにさせるように感じる。建物の内部の土壁を見て、突き刺さるような気持ちになるのは、その浮き彫りになったものがより克明になる感覚があるからだと思う。土壁ほど日本的なものを台湾で僕はまだ見ていない。
夜、Chiaoからメイルが来た。あの机の下の寅のことだった。”I checked the wiki, the tiger used to be god’s motorbike. so cool!!”
良い一日だった。
2018年2月4日(日) 在高雄29日目
昨晩は湯船につかる夢を見た。湯船につかりたいのだと思う。ここ数日の高雄はとても寒い。水曜日まで高雄はこの冬一番の寒さが続くとchiaoが朝メイルで教えてくれた。
今日はGoogleMap上でみつけた日本人のお墓に思いつきで行ってみようと思って出かけた。地下鉄とバスを乗り継いで、高速道路が走る郊外にそのお墓はあって大きな火葬場の近くでもあった。地図を頼りに小道を歩いていくと小高い丘の上に大きな木に囲われてそのお墓はあった。現在は日本人戦没者の遺骨安置所だと書いてある。手を合わせて心静かにお参りした。ただ今日は一人で来たのでなんとも心細い気持ちになって、少し写真を撮ってすぐに帰ろうと道中で決めていた。帰り道、野良犬に囲まれた。昨日も黄埔新村で野良犬に追いかけられたので、二日連続である。昨日はChiaoが追い払ってくれたけど、今日はそういうわけにはいかなかった。吠え続ける野良犬の横を何事もなかったように歩いた。野良犬たちはずっと後をつけてくる。たまに近寄ってきては体を僕の脚に触れてまた前を歩いていく。高速道路の高架近くで野良犬たちはついに追ってこなくなった。日本では紐につながれた犬にしか会わないが、ここでは紐に繋がれた犬の方がめずらしい。
スタジオに戻ってデータを落としていると、ドリスという名の若い女子が訪ねてきてくれた。アーティストトークの時に来てくれていたらしく、高雄在住でフィルム愛好家。写真の話より、食べ物の話をたくさんした。僕のノートにお勧めのお店や食べものの名前を書いてくれて、僕も一ヶ月で体験してきたことや食べたものの話をした。今度写真愛好家が営むコーヒー店に連れて行ってくれるという。話をしていたら時間も遅くなってきてしまって、近くのお粥店に一緒に行った。風の強い寒い夜に扉の無いお粥店。
2018年2月5日(月) 在高雄30日目
台湾南部でもこれだけ寒くなる。嘉義市の近くを通る北回帰線よりも南に位置する高雄は熱帯ということになる。日本で荷造りをしていた時、機材類の重量のこともあってセーターとコートは持ってこなかった。この数日、そのことを後悔している。
今日はスタジオで読書をしながらゆっくりしていた。お昼に冬粉鴨(鴨の春雨スープ)を啜って少し暖まって、駅前のカフェでさらに暖まろうなんてぼんやり考えながら行ったものの店内は寒かった。台湾の空調機には暖房機能が無いと聞いたことがある。ストーブが恋しい。寒くて長居できずカフェを後にして、帰り道の途中で寄った豆花店で温かい豆花を食べながら、日本なら湯豆腐だわとかぶつぶつ言いながら、写真を撮らずに過ごした一日となった。
2018年2月6日(火) 在高雄31日目
バイクを運転するには免許の正式中国語翻訳が必要だと知り、日台交流協会という場所に行った。ところがお昼休みで14時まで再開されないということがわかり、近くの文化センターのベンチに座って出発したときに待ち合わせをしたChiaoを待つことにした。お母さんが作った龍葵粥( awesome粥! )を持ってきてくれるという。しばらくして、Chiaoがバイクで現れた。少し元気が無いように見えて、大丈夫?と何度も聞いてしまう。「生まれた時から疲れている」とChiaoが少し笑いながら言う。うるさく言うのをやめて近くの広場で僕はお粥を食べる。青い葉っぱと鶏肉、他にも具がたくさん入っている。まだ温かくてとても美味しかった。食べ終えてからChiaoはスケッチを始めて、僕はぶらぶら歩きながら写真を撮った。15時に待ち合わせがあったのでここで別れて、僕は地下鉄の駅に向かった。
待ち合わせの相手は月曜日にスタジオに来てくれたドリスで、後驛駅で待っていてくれた。僕はバイクの後ろに乗せてもらって、写真愛好家が経営する喫茶店に一緒に向かった。市内のバイク移動は楽しいけど、ハラハラする。右車線を走るという感覚になかなか慣れない。お店に着いて店内に入るとお客さんがたくさんいた。古いカメラが陳列されていて、京都のLynowのことを思う。ドリップは浅煎りだったので、エスプレッソを頼んだ。薄暗い店内でドリスの写真集を見ながら、雑談。以前会った李さんもいて、店長に3人で写真を撮ってもらった。店長のカメラが6×9版のエボニーだったので僕も撮りたいと言って本人を撮らせてもらった。久しぶりのビューカメラが良い気分にさせてくれる。それからお店を後にして、ドリスがライブ写真を撮っているElepahntGymというバンドのメンバーに会いに行った。もらったCDにサインまでしてもらう。レコーディング中で邪魔をしては悪いとすぐに退散して近くの食堂で海鮮粥を食べる。皮蛋豆腐も頼んだ。食べ終えて今度はドリスが通っていた暗室教室があるので一緒に行こうと言う。バイクに乗って向かう。古い集合住宅の最上階、7階だったかに教室はあって生徒が6、7人作業をしながら出迎えてくれた。僕が座った椅子の前にはお寿司とお刺身が用意されている。先生の蕭氏は40歳の時に勤めていた銀行を退職してイングランドの写真学校に通うため家族と共に引っ越しをした。その後台湾にもどってから暗室教室を始めたという。僕たちが話をしている間も他の人たちは攪拌動作を続けている。黃見達さんという若い写真家は屏東に住む祖父母が営む雑貨店の日常を撮影した写真集を見せてくれた。とても良かったので一冊買うというと、くれるという。買う、いや、あげますを何度か繰り返し、「今ここにないから今度スタジオに持って行きます」と話の決着が着いたような着かないような。部屋に戻るともう零時を過ぎていた。
2018年2月7日(水) 在高雄32日目
今日は次男の誕生日。「おめでとう」と手を合わせてそれを前後に揺らすように遥拝してみた。手を合わせて静止しない台湾の人がしている小刻みな前後への動きの真似。
部屋で朝ごはんに味噌汁を飲んで、塩埕駅に向かう。mrtに乗って世運という左営区にある駅で降りる。左営区。京都で僕が20年以上住んでいる左京区と字面が似ていて見間違える。左営区は明朝時代にお城が築かれた場所で、日本統治時代に海軍住宅がたくさん集まった地域でもあった。その中でも左営区建業新村は昨年から高雄政府が修復援助金の支給を始めた地区で、鳳山の黄埔新村に行った時に教えたもらった。今回は電車とバスに揺られて一人で来た。駅を出るとすぐに宏南新村という住宅群が見える。もしかしたら日本式の家なのかもしれない。ただ壁面が鮮やかな青で塗られていることもあり不思議な外観となっている。空き家がほとんどで辺りは怖いくらい静かで、野良犬がでてきたらどうしようと思う。帰ってからchiaoがここは精油工場の社宅群だと教えてくれた。宏南新村から30分くらい歩くと建業新村はあった。区画内に入り少し歩くと修復中の家がある。中に入りたいと思いながら歩いていると学生らしい団体が家の外で談話しているのが見えた。英語で話しかけて中に入れてもらえないか聞くと先生が出てきた。日本から来たというと喜んでくれて、肩を組んでの記念写真から始まった。八畳くらいの部屋の中では左官職人が生徒にコテの使い方を教えている。畳は敷かないけど、壁は日本の伝統工法で土壁に漆喰を塗るという。先生は近くに修復中の自宅もあって案内してくれた。僕は修復前のむき出しになった土壁の表面の写真を撮った。
2018年2月8日(木) 在高雄33日目
起きてすぐにコインランドリーに行って洗濯をした。洗濯中に朝から営業している良い朝ごはん屋さんを見つけたのでそこで温かい豆花を食べて、部屋に戻って出かける準備をする。塩埕駅に行く前に三山国王廟でお参り。美麗島駅で待ち合わせた三人と合流して橋頭糖廠駅まで地下鉄に乗った。この駅は台湾糖業博物館と繋がっている。日本統治時代に建設された製糖工場の広大な敷地の中を散策しながら当時の建物を見学することができる。chiaoが仕事仲間の睿睿くん、雅淳さんを連れてきてくれて4人で一緒に夕方まで過ごした。途中売店でタロ芋アイスと鉄蛋をみんなの勧めで食べたり、凧あげしたり、穏やかな時間。博物館を出てドーム駅から少し歩いて鳥飯のお店で夕ご飯を食べる。青菜の皮蛋和えが美味しい。食後に中央公園に行くと真真さんという名の台湾女子が合流して、それから中国語、閩南語、英語そして日本語ではこれはなんというかというような話をずっとしていた。合間に台湾の若者が良くするポーズで集合写真を撮って、すぐに夜も深まり、そろそろ帰ろうかと言って駅で別れた。
2018年2月9日(金) 在高雄34日目
8時半にPier2のある大義通りの前で高雄の写真仲間たちと待ち合わせ。彼らが三地門という台湾原住民が暮らす村に案内してくれることになっていてレジデンス仲間と同行した。車の後部座席で横に座ったlayla(台湾では英語名を持っている若い人が多い)は写真の勉強中で鳳山地区に住んでいる。お父さんが占い師で日々の拜拜(バイバイ)を欠かさない。僕は台湾のお寺での作法を理解していなかったので道中たくさん質問をした。窓の外では檳榔とバナナの群生の景色が続く。しばらくして萬金教会に着いた。ここは台湾最古の教会建築で見応えがある。牧師さんと挨拶を交わし、写真を撮らせてもらった。近くで遊んでいる子供たちもカメラを向けるとこっちを見て止まってくれる。
目的地の三地門に到着して車から降りると深呼吸したくなるような綺麗な空気だった。高雄市内は大気汚染が深刻なのでより一層強く感じたのだと思う。台湾原住民パイワン族の暮らしが分かる文化施設もあって見学をしながら原住民の料理を楽しんだ。パイワン族は優れた工芸品を持つ種族だと本で読んだ。途中で寄った瑠璃工房と民芸品店ではお土産物用に作られた物とは感じたが、それでもなにか一つ欲しいと思って、小さなハンカチの織物と土製トンボ玉の腕輪と首輪を購入。
三地門を後にして旗山へ行った。孔子廟から見える旗尾山が格好良い。お参りしてから旗山神社跡地を見学して参道であったであろう階段をゆっくりと降りた。旗山老街を通って旗山天后宮をお参りした頃には辺りはすっかり暗くなり、帰りに客家料理を出す有名店に連れて行ってもらい今日も良い一日となった。
2018年2月10日(土) 在高雄35日目
起床後間も無く、昨年台北で知り合った警察官でありながら写真家でもある孫さんからメイルが届く。今Pier2にいるから朝ごはん行きましょうという内容だった。スタジオを出ると彼はもうそこに立っていて、挨拶もそこそこにすぐに行こうと言う。僕はカメラと少しのお金だけ持ってくっついていった。バイクがコンビニの前に止めてある。後ろに乗ってというのでヘルメットは?と聞くと大丈夫だと彼は頷く。走り始めると前からパトカーが来て、それを避けるよう右折した。なんだか可笑しい。その後少しの逆走と赤信号のまま交差点をゆっくりと進んで辿り着いたのは朝ごはん屋さんだった。そこで蛋餅(ダンピン)とミルクティという台湾らしい朝ごはんを一緒に食べながら翻訳アプリを使って交互に携帯電話に向かって話をした。食事の後スタジオまで送ってもらって、「娘の世話があるから」と言って帰って行った。ぼくもスタジオに戻って日記の続きを書いて写真の整理をして過ごした。夕方、気晴らしに文武聖殿と三山国王廟に行ってお参りして、帰りに豆花を食べてまた部屋に戻った。
2018年2月11日(日) 在高雄36日目
体調が少し悪く午前中は部屋でゆっくり過ごした。ふらっと外にでて、三山国王廟を覗くと赤い提灯を一つずつ洗っていた。年末ということで大掃除をしているのかもしれない。
2018年2月12日(月) 在高雄37日目
お茶屋さんのアルバイト店員ヨウさんが教えてくれた招軍請火へ朝の7時頃向かった。開始時間の5時に到着するようには起きれなかった。儀式は中山大学の前の浜辺で行われるということだったが、すでに終わった後のようで、後悔。ただ昨晩は遅くなってしまってどうしても起きれなかった。部屋に戻ってオープンスタジオのプリントデータの選別と編集作業をしていたらすっかり夕方になっていた。夜、育賢さんが日本人美容師のいる美容院に連れて行ってくれるというので付いていった。カットの後、腕の筋肉を見せてくれた。
2018年2月13日(火) 在高雄38日目
目覚めてから携帯を見ると目の覚める内容のメイルが届いている。返事を書こうかと思ったけど、それよりもえいやっと電話をした。とても辛い思いをしているのは分かっているのに、こんなとき僕にはかける言葉の持ち合わせがない。電話を切ってから外を見ると地面に陽が差していて、出かけたくなった。そして飛び出すように駅に向かった。地下鉄に乗って中央公園駅で降りてから少し歩いて、日台交流協会でこの間取得できなかった免許証の中国語翻訳を申請することにした。到着して必要書類を書くと15分くらいで簡単に取得できた。そこからバスで移動して高雄駅の近くの市場で年末の雰囲気を存分に味わいながら、ひまわりの種と赤い封筒を買ってぶらぶらしていると携帯電話が鳴る。郵便局の配達員からで、日本からの荷物をどこに配達したらいいのかという内容だった。中国語でほとんど会話にならなかったので急いで戻る事にした。
荷物は日本の友人カップルに代理発送を頼んでいたカメラのレンズで、それにしては箱が大きいなと思ったら、中に雑誌とCDが入っていた。雑誌は僕が年末に左京区の紹介役で少しだけ載ったSAVVY。CDはYatchiくんの誠光社から出た新譜。頼んでいないとても欲しかったものが二つも入っていてびっくり。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ただCDは聞きたいけど、プレイヤーがない。
Chiaoから今日は家で赤い紙に縁起の良い対句を書く”春聯”を家族でしているとメイルが届いた。お父さんが僕に”福”の字を書いてくれたと写真付きで。そしてしばらくしてまたメイルが届く。今度は近年亡くなったとても大事な友人のお墓参りに来ているという内容だった。
2018年2月14日(水) 在高雄39日目
三月の展示に関するミーティング。四月の出国前の展覧会が自分の部屋で各々展示をするという方向に動いている。それなら、制作費で本を作ろうという話も飛び出して、結論は春節明けになりそう。僕はほとんど黙っていてパパイヤとドラゴンフルーツをつまんでいた。あなたはどう考えているの?と聞かれて、どっちでも良いというような返事をした。流れに任せるという生き方に慣れすぎているのかもしれない。
お昼からChiaoの友達家族の家で春聯を描いた。その後みんなでゲームをして、敗者の顔に墨で落書きをした。僕は二回負けてしまって、顔が墨で真っ黒になっている。子供たちが笑っている。たくさん遊んでくれてありがとう。今日はたくさんの人と”新年快樂”と挨拶をした。発音が合っているのかもわからないまま。夕方Pier2に戻るとオープンスタジオ用のプリントが出来上がっていた。50枚を壁に貼ってこの後の制作のことを考えようと思う。
2018年2月15日(木) 在高雄40日目
春節前夜を除夕というらしい。この日の夕食は團圓飯と言って親戚家族一同に会しての食事をする事が多い。ほとんどの食堂が閉まっているので、夕飯は露店で済ますつもりでいたらChiaoがおばあちゃんの家に集まるから来てもいいよと言ってくれた。少し図々しいかなと思ったけど、参加してみたくもあり、行く事にした。衛武営駅からバイクで30分くらい走った八掛村という場所でおばあさんは暮らしていて、少し前まで牛を飼っていたと教えてくれた。日も暮れてきて、少しずつ親戚たちが集まり、女性陣が腕を振るった料理が次から次へと机の上に並べられていく。Chiaoのお父さんが日本語で料理の説明を一所懸命してくれる。僕はうんうんと頷きながら、お正月に縁起の良い名の食べ物を食べるのは日本と一緒だなと思う。食後に全員の集合写真を撮らせてもらった。
その後いくつかのお寺参りをしながら、塩埕埔駅近くの春節だけの夜市をひやかして、日本の福男選びと似た行事で”搶頭香”が開催される高雄三鳳宮に行った。高校生くらいの若い男の子二人が23時に開く予定の中央の扉前に先頭で立ってた。彼らに続いてたくさんの人が線香に火をつけて待機している。定刻通り扉は開き、後ろから覗くように写真を撮った。扉の前にいた男の子の一人が一番だったらしく中に入ると嬉しそうにしていた。お参りをして、外にでると爆竹の轟音と遠くで花火が上がるのが見えた。ここでは0時ちょうどというより、大まかに新年ということらしい。
2018年2月16日 在高雄41日目
春節。Pier2の周りが朝からとても賑やか。オープンスタジオで壁面に貼る写真を床に置いて、セレクトをして過ごす。なかなか決まらない。夕方、塩埕区のカフェに友達といるよとChiaoが連絡をくれたので合流した。台北で映画製作の助手をしているRubyさんを紹介してもらって、僕は溺れアイスクリームを食べて、そのあとすぐ近くにある高雄朝后宮に三人で行った。お正月にだけポエで連続して聖杯を出した回数を競って、上位の人には賞金や賞品が用意されている。参加費の300元を払って、神様にお参りしてから挑んだ。結果は三人とも一回で終了。残念。
2018年2月17日 在高雄42日目
地下鉄に乗って草衙駅で降りた。リュックを買おうと思って出掛けたのだが、派手な配色のものしかなく、やめた。塩埕埔に戻って、駅前の日本語本古本カフェに少し寄ってから部屋に戻った。昨日セレクトした写真を一枚ずつ壁に貼っていった。インクジェットプリンターからロール紙にプリントしたものなので丸みがなかなか取れない。
2018年2月18日(日) 在高雄43日目
オープンスタジオが始まる前に国際商場のスーツ店の店主に会いに行った。壁に貼った写真の様子を携帯電話で見せて、よかったら来てくださいと英語で伝えたが、もしかしたら伝わらなかったかもしれない。台湾ではお正月休みが続いていて、Pier2のまわりは賑わっている。オープンスタジオにはたくさんの人が来てくれた。Chiaoも糖業博物館に一緒に行った雅淳さんと一緒に来てくれた。夜はレジデンス仲間と夕飯を共にした。
2018年2月19日(月) 在高雄44日目
オープンスタジオ二日目。開始早々に蕭忠和先生、陳昱廷さん、ドリスが来てくれた。夕方に来てくれた方が誰のお父さんなのかわからない。日本語でたくさん話しをしてくれた。「私の親は戦前日本人として教育を受けて、それが子である自分の中に受け継がれています。」と彼は言った。